古いモノと良い感じ

中年男が独断と偏見で「古いモノと良い感じ」な日々を綴る

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“ 何時かはクラウン ”

クラウンワゴン

 “ トヨタ クラウンステーションワゴン 1980年式 ”



  
 真夜中の更新、時間がないので学生時代に乗った最初の車の紹介。
 大学生時代の1985年、埼玉県熊谷市の下宿の庭にて撮った写真である。

 “ 何時かはクラウン ” が “ いきなりクラウンステーションワゴン ” だった。

 高校時代、免許を学校に取り上げられていた僕は、
 無事卒業できた春から教習所に通い、色んな車を見て回っていたが、
 中々、予算と合わず親がお世話になっていた車屋で、このステーションワゴンを購入した。
  
 この車屋は、大阪ABC放送の関連会社で、このワゴンも元々はABC放送の放送車だったらしく、
 リアのサイドに、確か101とナンバーが入っていた様に記憶している。

 車屋のオヤジさん曰く、ダイナモも機材を積んでいた関係で大きい物が入っているし、
 自分が新車の時から整備してきた素性のシッカリした車で、大きいから幾らブツケテも大丈夫!
 初心者にはもってこいの車だとすすめられた。

 今のように、エアバックなどは無い、何をもって大丈夫なのだろうか?
 車体の大きさは当時としては最大級。当たってもキャビンまでは潰れないと云う事か・・・
 そういえば、まだシートベルトの着用義務も無い時代である。

 結局は、当時波乗りの真似事をしていた僕は、
 1、板の入る車という事。
 2、オヤジさんのすすめ。
 3、下取りの値段で良いよと言う甘い言葉に負けて。
 最初の相棒に選んだのだった。

 車は免許を取る前に納車されて、公道に出れない僕は、
 ただ座ってエンジンを掛け、ニヤニヤしていた。

 納車の方が早かったのは、理由がある。
 それは、何故か教習所の教官から嫌われいたようで、中々免許が取れなかったのだ。
 不器用な方でもなく、バイクに乗っていたので、運転には自身があったのだが、

 毎回、最終段階になると
 教官「あと、もう一回乗っとこか・・・」
 僕 「えぇ!またですか?!」
 教官「まだ判はつけんな・・・」
 と言う会話がなされ、
 結局、第1段階で7回、第2段階で2回程落とされた・・・
 仮免許をとってからは一度も落ちずスムーズに卒業出来た。

 無事試験に合格し、友人と初ドライブに行く途中、
 国鉄のガードを曲がる時にドアを凹ませた。
 いつもモンキーで曲がっていた近道だった。

 突然 “ ガガガ!”  何が起ったか分からない。
 焦ってバックすると、今度は、“ ガォン ”と大きな音が・・・
 ルームミラーで後を見ると、お尻を工事現場のオレンジの囲いにぶつけていた。

 もうパニックだ!頭は真っ白!どっちにハンドルを切ったら良いのか・・・
 力らまかせに、全速前進!
 ガード下には、 “ ガガガガガガガッ!”という音が響き渡ったのだった・・・

 友人の家につくと、待っていた友人に、
 「お前が迎えに来い言うから、ドアぶつけたやんけ!」

 やっと試験に合格、初運転、無惨に入ったドアのラインを見て、
 友人も「すまんすまん」となだめてくれ、内張りを外し、二人で足で蹴って直した。

 今思うと、やはり教官は正しかった。これが教官の言っていた内輪差である。
 いや、それ以上に、運転技術以前の問題が大有りだったんだと思う・・・
 懐かしい初ドライブの思い出である。


 車を買って、先ずしたことは、大阪日本橋でカーステと埋め込み式のスピーカーを買った。
 次に中古のアルミを履いた。5穴の5本スポークタイプだったが、今と違い70扁平用だった。
 写真のタイヤは強引に60扁平を履かせているので、車高が少し下がっている。
 スモーク張りも友人と二人でした。窓が多いので大変だった。


 通好みのベンチシートにコラムシフトの3速+OT付。友人からはタクシーチェンジと呼ばれた。
 エンジンは、OHCのM型エンジン、6気筒2000cc、当然キャブ仕様である。

 ガン鉄バンパーに各目4灯、丸型フォグとスポット付。
 高速では常に追い越し車線。ライトを全て点灯させて走ると、誰もが避けると言うイカツイ仕様。
 当時はドアミラーは車検を通らない時代だったが、メッキの外品に交換していた。

 リアワイパーが2本で、荷台にシートが後ろ向きに埋っていて、8人乗りだが、
 最高12、3人位乗って走ったこともある。


 マフラーは、当時のサーファーが良く付けていたコンボイの様なサイドマフラーで、
 雑誌で見つけて川越まで国道17号線を地図を頼りに店まで行った。
 店の人にはダミーとして着ける事を勧められたが、
 頼み込んで、触媒の代わりに着けていたストレート管に溶接で繋げてもらった。

 音は最高! 6気筒の集合管だ! しかし、いかんせんM型である。
 単車で言えば、CB400Fourの様な感じ、音だけきけば早そうだが、実際は遅かった。

 おまけに、左にハンドルを切ると、ロールしてマンホールに引っかかり、
 3ピース構造のマフラーは、メッシュのサイレンサー部分からモゲて落ちた。
 いきなりの爆音にビックリして、慌ててUターンして取りに戻り、
 熱々のサイレンサーをタオルや服で掴み荷台に投げ込んで、逃げるように走りさるのだ。

 その時の音はアメ車なみで、アイドリングは “ デロデロデロデロ・・・”
 吹かすと、青い炎を吐きながら、“ バロバロバロババー ”とドラックレース並みの爆音だ。


 まだ中坊並の精神年齢だった僕は、自転車で何処まででも走っていく様に、
 大柄なステーションワゴンで峠を走ったり、
 車高が低いのに、川の土手を斜めに上り下りしたり、
 河原におりてダートごっことやりたい放題の若かりし僕であった。

 今思い出すと初恋の相手のように非常に懐かしく思う・・・


 2台目の1600ゴルフに乗り換えるまで、
 ずいぶんと楽しませてくれた相棒でもあった・・・








 
 

 
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テーマ:旧車 - ジャンル:車・バイク

  1. 2009/12/05(土) 03:52:49|
  2. 熱中時代
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